名称 [編集]
- ロシア語:Киевで、発音は「キーイェフ」に近い。ラテン文字転写としては、最も多いKievの他、Kijev、Kiyevなどが用いられる。
- ポーランド語:Kijówで、発音は「キーユフ」に近い。日本語転写としては「キユフ」と書かれる。日本語文献では、ポーランド支配時代に関する記述等でこの名称が使われることがある。
- 英語:KyivまたはKiev。独立以前はKievが公式のラテン文字表記であったが、独立以降は唯一の公用語(国家語)のウクライナ語の名前であるКиївから、Kyivとの表記がウクライナ政府によって決められた。これに従い国内の道路標識や空港や駅等の表記は「Kyiv」で統一されている。ウクライナ国外では新聞や雑誌等のメディアは慣例からKievの表記を使う方が現状もっぱら一般的である一方、学術的な専門書ではKyivが使われることが多い[4]。
- 日本語:ウクライナ語名に沿った「キーウ」、「キーイウ」、「キーイヴ」等の表記がされる場合はあるが、現時点ではまだ使用頻度は少ない[5]。外務省発表も含め、各メディアともロシア語名に沿った「キエフ」と表記がなされることが多い。アクセントを表す長音符を保持して「キーエフ」と書かれることもある。また、「キイフ」、「キーフ」と書かれる場合もあるが、これらはウクライナ語の表記をロシア語等の読み方に沿って誤って転写したものである。また、漢字表記は「計由」である[6]。
ウクライナの独立後、本国では公式な名称をロシア語名からウクライナ語名に変更された。現地では政策としてロシア語の使用は制限されている。また、上記にあるようにロシア語に沿ったラテン文字表記である Kiev (Kiyev) も同様の扱いである。ロシア語表記はかつてのロシア帝国・ソ連の支配を快く思わないウクライナの人々の感情を害しかねないこともあり、近年英語圏における出版物では、政府発表の正式ラテン文字表記であるKyivと書かれるのが一般的である。日本でも、その傾向を受けて学者等から「キーウ」等とウクライナ語に準ずる表記が推奨される機会が増えつつある。しかし、現状では、日本やロシアにおけるウクライナ語の知識をもつ人口が少ないことや、以前は学会等でもウクライナに言及する場合、歴史的にロシア語文献を参照した研究が多かった経緯もあり、まだまだ慣例として「キエフ」と呼ばれる事例が圧倒的に多い。
ウクライナ語の認知度が相対的に低いため、政府や各メディア等々でもロシア語に沿った従来の「キエフ」という表記を用いている。しかし、上の問題を受けて、今後ウクライナ語名に沿った表記「キーウ」を用いることが必要との意見もある。
概要 [編集]
東ヨーロッパ有数の世界都市である。週末になると、歩行者天国になる市の中心部を通るフレシュチャーティク通りや、2001年の独立10周年を記念して整備され、地下ショッピングセンターなどを備えた独立広場(マイダン・ネザレージュノスチ)などで人々が賑わっている。
市内にはキエフ大公国時代の建築物が多数残されているが、戦火や共産党政権などによって破壊されたものも少なくない。その上で、黄金の門のように復元されたものも少なくない。ウクライナは両大戦において主戦場となったためそれにまつわる多くの記念碑が建てられているが、キエフ市内及び郊外にも数多くの記念碑が見られる。それ以外には、現在のキエフに戦火の傷跡を見つけることは難しい。
町は年々発展しており、他の主要都市などと比べても外観・内容ともに豊かである。
5月には春の祭りが行われる。
地理 [編集]
キエフの旧市街は、ドニプロ川(ドニエプル川)を見下ろす小高い丘の上にある。
市はドニプロ川を挟んで広がっているが、その内丘陵地帯の西岸側が古い建物の残る従来の市街地で、それに対し低地である東岸側は、高層建築物の目立つ新市街となっている。川の中州にはかつてドイツ軍に破壊された村の跡にヒドロパールクがつくられている。
1986年4月26日、キエフの北130kmにあるチェルノブイリ原子力発電所で原子力事故が発生した(チェルノブイリ原子力発電所事故)。直後にソビエト連邦上層部によって全住民350万人の疎開が検討されたが、風向きの関係で健康への影響は無いと判断され、疎開は中止された。現在はキエフを起点としたチェルノブイリの観光ツアーが存在し、事故を起こした4号炉を間近に見ることも可能である。
気候 [編集]